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1999年(平成11年)5月1日(土)
 
朝方、結構雨が降っていた。
 ここ「ゴラ・ビーチ・イン」では朝食がないので昨日までと同様「タマン・サリ・コテージ」でとることにする。宿泊者以外は8,000Rp。ボードも持ってワヤンを待つ。
 今日はどこで入るか。クタの海岸を通るが満ち過ぎでうねりも小さい。チャングーか、と思ったがおそらくタルめだろう。サヌールとセランガンは東側のため予測できない。それならウルワトゥか、ということで南に向かった。
 ウルワトゥ。2年ぶりだ。ワロンが随分増え、特にコンクリート製のワロンがあるのには驚いた。また、建設中の建物もある。ホテルになるものもあるらしい。しかしそれも上の駐車場のあたりのこと、下に降りれば昔ながらのワロンだ。急な崖を下って洞窟に出る。丸太のはしご。滑らないように気をつけて降りなければならないのは以前と同じだ。満潮のため、ビーチからは出られない。洞窟からパドル・アウトだ。ここから出るのは初めてなので緊張する。うねりで壁に持ってかれないようにタイミングを見計らって出る。
 雨が降ってきた。視界が悪く不気味な感じ。背後の断崖が圧迫する。ブレイク・ホジションにいるはずの人影が見えない。引いてるときのウルワトゥも危険だが満ちててもなんか嫌だ。雨というのも気分が滅入る。恐怖が勝るときのサーフィンは危険だ。なかなかパドルが進まないし、このままパダン・パダンまで流されるんじゃないか、遭難するんじゃないか、と心配になってきた。入ったことを後悔する。
 しかし、ようやくテイク・オフ・ホジションまでたどり着き、波も上から見ていたとおり小さめだったので落ち着きを取り戻すことができた。そして晴れてきた。肩くらいでセットも頭くらいしかないので、一転メローな感じに。落ち着いてサーフィンに専念する。

 今日は小さめのブレイクなので、短いがレギュラーもあった。満潮ということでうねりがブレイクするまで厚く入ってくる。底のリーフも見えない。安心して突っ込め。
 U君と彼女をホテルまで送ったあとサヌール・ビーチをチェック。小さい。雷が鳴り出し、また一雨きそうだ。明日レンボンガンに行こうということになっているので、無理をせず帰ることにした


    
(左)この日のウルワトゥはイージー・ブレイク。

   ウルワトゥのワロンで。







1999年(平成11年)5月2日(日)
 今朝も雨。7時ごろあがったが薄曇り。ポピーズ2は舗装されていないので水がたまってぐちゃぐちゃ。ひどいところは車のタイヤがつかってしまうほど水溜りができている。インドネシアは雨季という季節があるにもかかわらず水捌け対策ができていないところが多い。
 今日はレンボンガンだ。サヌールを出航し11時ごろ着く。しかしタイドの関係でブレイクが小さい。1時ごろ良くなるということなので「ハナチャン」の実家のワロンで待機することにした。ここには「ハナチャン」のお父さん、お母さん、お姉さん、ほか親戚の人々、がいる。簡単に食事をし波が上がるのを待つ。 再び出航。胸肩で小さい。人が多め。日本人とローカル、あとオーストラリア人少々。「ハナチャン」たちの営業努力で、ボディーボードの女の子や観光サーフィンぽい人もいる。今日は小さいので安全だが注意して入ろう。ここのデカいときは怖い。ボート・アクセスによるアウターリーフというのがまず日本でやるときと違うのでこれがやや緊張する。カレントが通常右に、つまりピークの奥へと入るので、そんなときセットが入ると怖い。ここはタナがあって囲い込むようにしてブレイクするんだが超でかセットの割れる様は迫力もん。あたりの水が全て巻き上げられる感じの超弩級のセット。そして不運にもハマってしまうとインサイドの沈船に吸い込まれそうになり怖い。ボトムはリーフなので、ここをなめてやると危険なので私はいつもビビりながらやるようにしている。
 とはいえ、本日は楽勝ムード漂うお手ごろサイズ、天気も良くなりイージーにクルーズだ。最小クラスのブレイクはちょうど沈船のあたりでブレイクしている。セットは例の「メガワティ派ローカル」が全部乗っちゃうので、小さめのやつで板をしごきつつ走る。
 夕食は「タマン・サリ」で。「エア・フォース・ワン」をやっていた。







1999年(平成11年)5月3日(月)
 今日はU君と彼女がウブドゥに行くというので車を使っている。クタは今日も小さい。しかし天気はいいので海水浴には最適だ。ということで今日はノー・サーフ。
 「タマン・サリ」の今日の映画は「コン・エア」。「アロハ」でシャツ、215,000Rp。CD屋でインドネシアの伝統音楽を3枚、とエアロスミス「ダン・ウイズ・ミラーズ」、AC/DC「バック・イン・ブラック」、オフスプリング「アメリカーナ」。
 「インド・ドリームス」によると波はしばらく小さいらしい。今年は雨季から乾季への移行が遅れているらしい。今日も風が強かったんだがこれが収まらないと波も上がらないという。
 「パディーズ・パブ」はレギャン通り。毎晩盛り上がっている。ヒップ・ホップかテクノ主流の日本のクラブと違い、ニルヴァーナやオアシスなんかがかかったりする。たまにはヘヴィーなリフでヘッド・バンキングしたい「バーン」なあなた(笑)には最適。






1999年(平成11年)5月4日(火)
 U君と彼女はあっという間に今日が最終日だ。早いもんだね。ということで今日はU君の好きなチャングーだ。小ぶりながらも面は整っている。頭ぐらい。しかし人がそうとう多い。右、中央ともに30人ずつぐらい常に入っている。波を取るには、カレントがあるのでポジショニング、そして一瞬のタイミングを逃さない強靭なパドル力が必要だ。今日もやはり10時から10時半ごろから風が入り悪くなる。
 電話をかける用事があった。しかしここチャングーのビーチ前ワロンにはありそうもない。一軒道路に沿って陸側のホテルに行って聞いてみたがここもない。その隣のホテル、ここには電話はないがオーナーが携帯電話を持っていたので借りることにした。3,000Rpでいいと言われたが10,000Rp渡した。チャングーを狙うなら、ビーチまで20秒、ここにステイするのもいいかもしれない。

 (左)「Saya cari ombak-ombak besar.」

 

(上)かなり混んでました





1999年(平成11年)5月5日(水)
 Tさんと昼食。午後は読書をして過ごす。





1999年(平成11年)5月6日(木)

 ワヤンと「タマン・サリ」で朝食。午後は読書をして過ごす。そろそろ食事に飽きてきた。実家に電話してアジかサンマの開きと味噌汁を用意しておいてくれと伝える。




1999年(平成11年)5月7日(金)
 
今日は各地デカいとの情報、サヌール・ビーチに行ってみることにする。サイズ的にはオーヴァーヘッドでファンかと思い入ってみたが、セットがかなりパワーがあり巻いていてエアーを吹き出すど迫力、入っているのは日本人のみ5,6名でローカルはいない。いい波なんだけど、満ちているためインサイドのショア・ブレイクも砂を巻き上げ、ゲティング・アウトに苦労する。とにかくパワーのある、日本のビーチの台風のときのような波だ。問題はなかったが、広いビーチに少数、日本人のみ、そしてローカルがいない、これが不安なんだよね、いい波なのにローカルがいないっていうのが、もしかしたらサメがいるかもしれないし、ということで早めに切り上げることにした。はっきりいって、結構セットはリップも厚く、水の量が多いって感じで、くらったらキツそう。チャングーに泊まっているという日本人によると、チャングーもかなりアウトで割れていて、オーストラリア人しか入っていないという。昼過ぎに通ったクタのビーチもオーヴァーヘッドのダンパーが炸裂していた。
 日本の連休が終わり、多くの日本人が離バリしたあとようやく本来のうねりが入ってきたという感じ。





 (左)ビーチとはいえエアを吹き迫力のサヌール。

     




 おみやげを買う。前から通っていたレギャン通りの民芸品屋「オメガ」で。仏像、ガルーダ、テーブル・クロスなど。
 4月29日チャングーで、リザール・タンジュンに、私の「インド・サーフ・アンド・リンゴ」にサインをもらった件は前お伝えした。その様子を「インド・サーフ・アンド・リンゴ」の作者にEメールしたら返事が来た。彼はオーストラリアのサーファーでインドネシアの島々を探検する第一人者。詳しくは彼の前述の著書を読まれるか、彼のサイトへ。






1999年(平成11年)5月8日(土)

 早いものであと2日だ。気合いを入れてサーフィンだ。今日はワヤンの友達のニョマンも同行する。まずセランガンをチェック。「ゴラ・ビーチ・イン」宿泊の日本人サーファーが昨日頭半ぐらいで良かったと言っていた。しかし、アウトサイドで割れているものの、そうとう引いていてあまり良くない。で、チャングーを見に行くことにした。
 チャングーは到着したのが遅かったためやはり風の影響を受けていた。右側のポイントは割れているものの風でつらそう、中央のみできる状態だ。セットはダブルぐらいだ。奥からレギュラーがきれいに入ってくる。しかし人の集まるピークは捨ててインサイド中ごろのミドル・サイズの波を待つことにした。このあたりの波でもオーヴァーヘッド、ファーストは結構ホレていて、板を食い込ませないとすぐパーリングしてしまう。しかしすごい水の量だ。インドネシアはもちろん波もとてもいいが、水の量がすごいためうねりの迫力が違う。タイドで波がたつということだが、海が動いている、それを実感させるようなうねりだ。ワヤンもニョマンもレンボンガン出身のくせにデカ過ぎるといってすぐ上がってしまった。まだ20歳と若いからか。経験をいっぱいつんで立派なサーファーになってくれ。

 (左)ニョマンとワヤン。

(左)「おめえ前乗りしやがって」、「いや、てめえだ」。ニョマンと俺。





 今夜はサヌールに遊びに行くとのこと、現金が足りなくなってきたのでATMに行った。クレジット・カードで現金を出すことができた。600,000Rpにしとこう。ここは「マタハリ」の横で、土日もやっていて夜8時までやっているという。
 「オニール」でシャツ。155,000Rp。ここは去年まで「OP」だったところ。
 サヌール。海沿いのレストランでビールと魚料理。ワヤンともう一人のワヤンと。その後サヌールにあるホテルで泊まる。








1999年(平成11年)5月9日(日)
 
朝7時サヌールのホテルまでワヤンが迎えにくる。その後クタに戻り「タマン・サリ」で朝食。さあ、いよいよ最終日だ。
 最終ラウンドはチャングーだ。今日は人も少ない。今日もブレイクは中央がまとも。オーヴーァーヘッド。しかし昨日ほど良くなくファーストのみであとはタルめのエッジのない波。もちろんインサイドまで行けばチューブ・セクションもあるが、カット・バックを入れ、板をしごきながら乗る波だ。テイク・オフはピークでとらえないと板が走らない。
 CD屋で、こちらでよくかかっていたCHERの「ビリーブ」、ブリトニー・スピアーズの「ベイビー・ワン・モア・タイム」を買う。ブリトニーはMTVでも30分に1回ぐらいかっていたぞ。「ヒッ・ミッ・ベイビ・ワン・モア・タイムっ!!」ってやつね。ローカルも車中で「カワイイネー」とノリノリだ。
 夜7時、ワヤンとワヤンの友達が迎えに来る。ングラ・ライ空港へ。23時45分発だからちょっと早いのでカフェでコーヒー。

 さようなら。





1999年(平成11年)5月10日(月