もどる





1999年(平成11年)4月22日(木)
 名古屋空港は国際線ターミナルが今月新装オープンしたばかり。この空港は利用したことがなかったので前がどんなか知らないが、広くてきれい。人が少ない。今はゴールデン・ウイーク前で閑散期に入るのだろうか。デューティー・フリーなんか客より店員のほうが多いんだが、女の子の店員なんか客には目もくれずにしゃべりまくって楽勝って感じ。
 飛行機はガルーダ・インドネシア。一日一本飛んでいる。さすがデンパサール直行便、サーファーの比率が成田並みに高い。そういえば関空はサーファーが少なかったなぁ。

  

 (上左)名古屋空港は自衛隊と共用なので練習機が民間機の横に進入してきたりする。(上中央)搭乗したガルーダ・インドネシア機。

 (上右)デンパサールはングラ・ライ空港に到着ッ!!



 デンパサールへは18時半ごろ着いた。2,000円だけ両替して、とりあえずタクシーでクタまで行く。宿は3日間だけ「ホテル・ウイナ」にすることにした。一泊3,000円。食事と他の宿探しもかねて歩いてみた。やっぱりロスメンと呼ばれるところは40,000Rpくらいである。次はその辺にしてみっかな。「LGクラブ」で食事、ビールと野菜スープとサンドイッチ。
 あと、歩いていてインターネット屋が増えてるのに気が付く。この前来たのが昨年7月だからそんなに経っていないんだが、前は「バリ@サイバー」だけだと思ったんだけど、あちこちにある。主にオーストラリア人が客でウエブを見ている。「ホテル・ウイナ」は電話はあるがコネクタが4芯になっているのでだめなのかネットに接続できないので、自分のPCを持ち込んで繋いでくれるか、と何軒かに聞いてみたが、そういうことはやってないみたい。明日一度持ってきてみてくれとのこと。
 「インド・ドリームス」は新品・中古の板の店。「チューブス」の近く一本入ってすぐ。そこによると今日のクタはかなりデカかったらしい。ただ風が悪くクローズド気味だったとのこと。

                (左)「ホテル・ウイナ」の部屋。
         (左)ここインドネシアではゲッコーと呼ばれる爬虫類が見られる。






1999年(平成11年)4月23日(金)
 7時起床。いやー、夕べ蚊がいたなぁ。何回か起きたよ。ホテルの朝食はバイキング。

   





 (上左)001の看板。クタはちょうどこの前のブレイクが良い。(上左から2番目)ロックダンスを抱えた女の子、日本人か。(上右から2番目)サーフィンしている間いつもサンダルを見張っててくれた「マデNo5」。「ミチュアミ」のおばちゃんね。(上右)この日は小さめのやつのみ走れた。(左)001の看板を曲がれば「ホテル・ウイナ」。











 ビーチをチェックしてみる。腰から胸で何とか走れる波。とりあえず入ることにする。
 自転車を借りてみた。一日5,000Rp。あれ、50,000Rpだったかな。昼食、「R.AJA‘S」、ビールとトマト・スープ、スパケ゜ティー。「マタハリ」で殺虫剤と下着を買う。もう少し安いホテルをということで探してみたが、「チューブス」の前の「タマン・サリ・コテージ」が一日2,000円なのでそこにすることにした。「ウイナ」に戻り少し寝る。
 もう一度今日はレギャンで入ることにする。朝よりは波数が多い感じ。しかしここクタの波はやはりダンパーが多いことは多いんだけど、小さいのといわゆる「お化け」セットの差が大きい。選ばないとクローズする波が多い。皆、拠点のホテルに近いのでとりあえず入るがその後は他に行ってしまう所以だろう。 

 (左)今回のトリップでメインになるであろう、ラスティー6‘2。




 CD屋に寄ってみた。前から買おうと思っていたデフ・レパードの「スラング」。60,000Rp。CDは安いよね。そのかわり高いのがヴィデオ・テープ。私のはミニDVなんだけどこれが220,000Rpもする。日本の何倍かな。
 インターネットはレギャン通りの「kp‘s internet」でダイヤル・アップ接続(電話線を貸してくれる。インターネット屋は多いが、電話線を貸してくれて持ち込みのPCで接続できるのはこの辺ではここだけのようだ)ができるのでやってみた。が、だめ。もう一度マニュアルを読んで明日やってみるか。ここは1階がアイスクリーム屋で2階がそう。昨日オープンしたばかりという。iMacが置いてある。
 民芸品屋でシルバーの仏像を1個買う。夕食は「Norm‘s」で。ピールとスープとオムレツ。物売りは多いんだけど一人だとついつい、断るのもいつもいつもだと面倒になってきて、ジッポを買ってしまった。90,000Rpだから安いんだけどね。
 「チューブス」に行く。昨年お世話になったレンボンガン島の「ハナチャン」にばったり会う。ビールを飲んで明日の計画。鹿島でやってるサーファーが2人今日来て、とりあえずチャングーに行こうかということに。





1999年(平成11年)4月24日(土)

 ホテルでルーム・サーヴィス。ダイヤル・アップがうまくいかない。ここはホテルだから外線発信番号が9なんだけどそれやってみてもだめ。壁から伸びてくる線が4芯ていうのが気になる。
 夕方レギャンでやる。腰から胸で時折面ツルになってまあまあのコンディション。左手奥から割れてくるグーフィーが良かった。日没にかけ徐々に人も少なくなりクール・ダウン・セッションという感じ。福○○子プロが入っていた。1本前乗りされたよ。
 夜は「チューブス」で。今日の映画はデカいゴリラが出てくるヤツをやっていた。ワヤン、「ハナチャン」、ローカル・サーファーらとビール。





1999年(平成11年)4月25日(日)

 ホテルで朝食後、チャングーに向かう。
 ファン。サイズは頭からオーヴァー・ヘッドで面はチュルチュル!!  一番左と中央、そして右、と3箇所で割れていたが、中央で入った。 リザール・タンジュンが入っていて、ピークの奥から攻めていた。リザールは去年ハーフウエイで見たけどやっぱりうまいよ。地元キッズも何人か入っていたけどみんなリザールを羨望の眼差しで見てる。他ローカルが回していたのでなかなか取れなかったがバグース。バリ3回目にして初めてのチャングー、雰囲気的には四国の尾崎に似ているけどうねりが三角で入ってきて最高だった。

    




 (上、左)「タマン・サリ・コテージ」はご存知「チューブス」の真ん前。

 ちょっとビールが飲みたいときはもちろん、サーファーが集まるので情報収集にも便利。
 「ハナチャン」はここでツアーの客を集めるし、若い日本人サーファーはナンパに精を出す。
 今回泊まっているのは3階の道路側なので、ご覧のように「チューブス」の入り口がチェックできる。












 「ホテル・ウイナ」をチェック・アウトし「タマン・サリ」に入る。ここは「チューブス」の真ん前で環境は抜群(?) ちょっと海が遠いかな。一泊2,000円。でも「ハナチャン」が「タマン・サリ」の隣りが「トモダチ」で、そこはもっと安くしてあげるということなので、5日間だけここでまた変わる予定。
 夕方は今日もレギャン。うーん、今日は昨日より例の「1Kmダンパー」の数が多くなかなか走れない。夕日がきれい。人も少なくなるのでクール・ダウン・セッションには最適。
 夜は「チューブス」でビールとピザ。ワヤンにインドネシア語を少し教えてもらう。明日はレンボンガンに行こうかということになった。アイアン・メイデンの「ヴァーチャル」を買う。60,000Rp。





1999年(平成11年)4月26日(月)
 今日はレンボンガンだ。鹿島ローカルの二人を迎えに行き船が出るサヌールへ。レンボンガンのシップレックは昨年一度入ったが、かなりデカかって苦戦、隣りのプレイグラウンドでやったんだが、今回はシップレックを滑れるか。

  


(上左)メガワティ支持の旗がいたるところで見られる。バリ島では90%の支持率だという。
(上中央)レンボンガン島までサヌールから船で行く。
(上右)このローカル・サーファーも同行したが、彼が着ているようにメガワティ支持者のシンボル色は赤。随分オフ・ザ・リップがうまいくせに「メガワティ!」などと叫んだりする。クタの街中でも、赤いティー・シャツを着た連中が旗を持って単車で走り回ったりしたりしてファッション化している感がある。メガワティ派のイメージ戦略の勝利か。





 シップレック。レンボンガン島の代表的なポイント。沈船が目印。ローカルは「グンカン」と呼ぶ。船はブレイクの左に着けてくれる。レギュラー。通常カレントが入り右に流される。インサイドでハマったらいったん左に出てケティング・アウトすればよい。そうすればカレントにより自然にテイク・オフ・ホジションまで持っていってくれる。右に行きすぎたらもう乗っちゃう。それの繰り返し。

    


(上左)ここシップレックはローカルは「グンカン」と呼ぶ。「あれは日本の船だ」と聞いていたので、第二次大戦中の輸送船か駆逐艦か、と思っていたが、今回地元の人に聞いてみると、日本船には違いないが漁船だそう。数年前に座礁したらしい。

(上中央)見てくれ、このファン・ウエイブ、バグースでしょ。 (上右)船はブレイクからそう遠くない。

 (左)ミドル・サイズの波はイージー。









 今日はサイズ的にはファンなオーヴァーヘッドというところ。ここは水がきれいなのでウォールが透けちゃってて気持ちがいい。船は3,4艘というところで人数は多すぎず少なすぎず。デカいセットにはビビるが、それをクリアできれば波は回ってくる。
 昼食は「ハナチャン」の両親が経営してるワロンでとれる。「ハナチャン」の「トモダチ」ということで食べ放題飲み放題だ。ビール、トマト・スープ、オムレツにミゴレンだ。
 昼寝後もう一度シップレックでやる。





1999年(平成11年)4月27日(火)
  


 (上左)今回運ちゃんをつとめてくれるワヤンは20歳。ボスの「ハナチャン」にこき使われている。
 日本語はまだまだなので会話はお互い未熟な英語で。あ、ワヤンのほうがうまいかな。
 日本語を彼に教え、彼はインドネシア語を教えてくれる。

 (上中央)セランガンのビーチ前のワロンのペレムと。
 (上右)見ないでくれ、この醜い上半身。腹出ちゃってしょうがないよ。
 
 (左)ここセランガンにも沈船がある。













 今日はセランガンに行ってみることにした。ここはバリ島東海岸に位置する海岸でボトムは砂とリーフ。ここは以前は島だったが、今は埋め立てで陸続きになっている。ビーチからブレイクまで遠いが、パドル・アウトするとアウトサイドではチャングーほどではないが三角のうねりが入ってきている。バグース。レフト、ライトともあるがグーフィーのほうがホロー。セットはオーヴァーヘッド、しかしそれも風で悪くなる。ワロンでビールとミゴレン。
 宿に戻り、昼寝。ちょっと疲れたかな。
 夕方は5時からレギャンでサーフ。今日も小さめ、腰。1000kmダンパーが悩ます。
 「kp‘s internet」で再チャレンジ。つながった。ふー。接続線の4芯というのは関係ないみたいだ。というか今泊まっているホテルは外線9番が使えないんだって! 「ホテル・ウイナ」もそうだったみたいだ。無駄な努力をしてしまった。「kp‘s」は約1時間接続して60,000Rp、約850円、これにプロバイダのローミング料が1分60円だから3,600円、高えな。





1999年(平成11年)4月28日(水)

 今朝はまずセランガンをチェック。しかし風でぐちゃぐちゃ。うねりも小さい。オンが強い。これだと西海岸のほうが良いと思ったが、とりあえずサヌールのビーチを見てみようということにした。サヌール・ビーチは、いわゆるサヌール・リーフの北側に位置するポイントで、道路脇に車をとめてすぐ。やはりここも風の影響があったがうねりは入ってきていてブレイクしている。サーファーも走れているので入ることにした。

   


 (上左)「Selamat pagi」。「タマン・サリ」のフロント。
 (上左から2番目)運ちゃんのワヤンは毎朝15分遅れでやってくる。
 (上右から2番目)サヌール・ビーチに向かう道端では牛が放牧されている。
 (上右)今日の東海岸は風が入っており良くなかったが、ここサヌール・ビーチではまあまあ走れた。時間帯によっては面も整っていた。ローカルが数名入っていた。

 (左)セットはチューブも狙えそう。プル・インするがこの波はこのあとクローズ。











 四国・高松から友人U君と彼女が到着。ングラ・ライ空港は日本が連休前ということでさすがに混雑していた。彼らは「ビンタン・バリ」に宿泊、いいホテルだね。ロビーが広々としてピアノ弾きなんかもいたりして高級という雰囲気。夕食後、買い物。「ロキシー」が随分広くなっていた。改装したらしい。店舗が奥に伸びている。
 今夜は「kp‘s」での接続は短めにして約15分。20,000Rpだった。ここもデカいスクリーンで映画をやっている。1階はカフェでアイスクリームもある。2階がインターネットだが他の店ほど混んでない。きれいな店内。インターネット屋はここ数ヶ月でだいぶ増えたみたいだが、客はほぼオーストラリア人で日本人はいない。設置されている端末に向かいウエブを見ているようだ。メールは「ホット・メール」というシステムがあって、どういう仕組みか知らないがそれでやりとりしている。ノートを持ち込む客はほとんどいないようだ。従業員が、私のノート、松下CF−C33を覗き込む。PCより日本語で稼動しているというところが珍しいようだ。







1999年(平成11年)4月29日(木)

 今日はチャングーです。U君たちを迎えに行って9時ごろ出発。到着したころはややたるめながらきれいにブレイク、少し小さいかなという感じ。しかし時間がたつにつれて風で悪くなってきた。今日は一番右のブレイクでやったが、レギュラー、グーフィーとも走れるいい波。日本人多め、というかほとんど日本人。サイズは肩ぐらいか。
 
今日もリザール・タンジュンがいたので何とサインをもらっちゃいました!!!  「インド・サーフ・アンド・リンゴ」にリザールがパダン・パダンでサーフィンしている写真があったので、そこにサインしてもらっちゃった。福池恭子はリザールにケアしてもらっているらしく今日もいっしょにいたので福池さんにもサインしてもらった。以下がその画像だ。じっくり見てくれッ!!!!!

(上)リザール・タンジュンに「インド・サーフ・アンド・リンゴ」を差し出す俺ッ!! 福池恭子も笑いながらビデオで俺をシュートしてるぜッ!




(上)快くサインに応じるリザール、俺も思わずニッコリだッ!!  福池恭子も覗きこんでるぜッ!



(上)世界のリザールとがっちり握手だッッ!!!!!  俺をしっかり見てるぜっ! 


(下左)かんじんの波のほうは、たるめながらもつなげる波。(下右)福池恭子もサインしてくれた。  
  


(上)これがリザール・タンジュンのサイン。「TO JUN」だよ、嬉しいねえ。「インド・サーフ・アンド・リンゴ」に書いてもらった。この写真のようにほんとにスタイリッシュなんだよ、彼のサーフィン。チャングーでは一番奥から攻めるし、クタなんかだと飛んじゃってる。ASPでもがんばってほしいよね。


 夜はU君と彼女が「チューブス」に来て「タマン・サリ」のレストランで食事。ここも映画をやってるんだ。今日はジャン・レノの新しいやつ。
 本屋に寄ってみた。ここクタでは本屋といっても古本屋しかない。英語の本が多いが日本語の本も大体置いてある。司馬遼太郎
ものがやたら目に付く。行きの飛行機で読んじゃって売っていくんだろう。読みやすいし手ごろだもんね。観光案内もどの店でも4、5冊はある。帰るときもう用無しで売っちゃうんだろう。あと官能小説。そして北朝鮮本。北朝鮮本はどの古本屋にもたいてい置いてある。人気だね。去年も「金正日官邸の抜け穴」とかいうのを買ったなあ。今日は金賢姫「いま、女として」(笑)を購入、6,000Rpだ。
 今日のレギャン通り「kp‘s internet」での接続はうまくいかなかった。時間が遅かったので混んでたのかもしれない。接続はできたがデータの転送ができなかった。11時くらいまでが快適ですよ、とのこと。まあそういうことは日本でもよくある。ローミング料1分60円がキツいので早めに切り上げた。 






1999年(平成11年)4月30日(金)

 今朝はセランガンだ。胸肩でトロめ。
 「タマン・サリ・コテージ」をチェック・アウトし「ゴラ・ビーチ・イン」へ。ここは「ハナチャン」の値切りにより10日で10,000円だッ! しかし、さすが安いだけあって、電話なし、エアコンなし、ホット・シャワーなしなんだけどね。
 夕方のクタは湖のよう。大潮で引き過ぎ。
 
   (左)「ゴラ・ビーチ・イン」室内。



もどる

続きを見る